高野山大文学部(和歌山県高野町)の坂口太郎講師(日本中世史)は、後醍醐天皇(1288~1339年)の側近だった僧侶、文観房弘真(1278~1357年)の自筆文書を確認した、と明らかにした。高野山内の子院・西南院所蔵の古文書を再調査したという。【藤原弘】
南北朝時代の高野山の僧侶に送られた文書の可能性があり、坂口講師は「文観の直筆が確認されるのは珍しい。南北朝時代に中立を保ったとされる高野山と、(後醍醐天皇側の)南朝との関係を考える上で貴重な資料だ」と話している。
文書は、正平3(1348)年3月19日に、真言密教の資格を許可するために有源という僧侶に送られたもの。文書に文観の名前はないが、花押が記載されていた。花押は署名を図案化したもので、東京大学史料編纂(へんさん)所のデータベースにある文観の古文書の花押と一致したという。
一方、有源が何者かはっきりしないが、坂口講師は、「高野山文書」(国宝)の南北朝時代の部分に出てくる高野山にいた僧侶の可能性があるとみている。
文観は、後醍醐天皇とその子の後村上天皇(1328~68年)を祈とうで守った護持僧で、東寺座主などを務めた。高野山文書には、文観が1348年7月、高野山の御影堂に霊宝類を奉納した際の目録が記されており、坂口講師は「文観が高野山に来て、南朝寄りの僧侶と気脈を通じていた可能性がある」と指摘する。
高野山の寺院では1957年から5年間、高野山文化財保存会と毎日新聞による史料調査が行われた。西南院では今回の文書は確認されていたものの、文観のものとまでは分かっていなかった。坂口講師らが2017年から、西南院の依頼を受けて再度詳しく調べていた。
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November 25, 2020 at 08:04AM
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後醍醐天皇側近の僧侶、直筆文書が高野山で確認 「南朝との関係考える上で貴重」 - 毎日新聞 - 毎日新聞
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