明治中期創業の岐阜市今町の日本料理店「かわらや」が8月31日で閉店する。長良川の天然鮎をはじめとする季節の料理が政財界人や食通をうならせたが、新型コロナウイルス禍で宴席が激減。物価高や人手不足も追い打ちをかけ、140年を超える歴史に幕を下ろす。7代目社長の堀謙一さん(56)は「お客さまに恵まれ、やり切った」と感謝する。
かわらやは、元は瓦ぶき職人の店。長良川の水運が盛んだった頃、材木や和紙の業者に軽食を振る舞ったところ評判となり、料理店に衣替えした。
看板料理は天然鮎のフルコース。刺し身、塩焼き、雑炊と、あらゆる調理法で岐阜の恵みを提供した。自慢の鮎の田楽「魚田」は、1匹の鮎に赤、白の2種類のみそを塗る店独自の味。戦災を免れた昭和初めの建物は最大60畳の大座敷を持つ。以前は浴場があり、風呂上がりに宴席を楽しめたという。
その建物が老朽化し、維持が困難に。経営を支える宴席がコロナ禍で一時ゼロとなり、給仕係は高齢化もあって次々引退。状況が回復してもすぐに人手は戻らず、大口の予約を受けられなくなった。さらに調味料を調達していた近隣のしょうゆ店、みそ問屋が相次ぎ閉店し、謙一さんは店じまいを決意。少人数向けに縮小して続ける選択肢もあったが、妻で若おかみの久美子さん(47)、母昭子さん(81)はじめ親戚一同が謙一さんの意思を尊重した。
そもそも謙一さんは岐阜育ちでなく、かわらやを継ぐつもりもなかった。店を継いでいた伯父が急逝したため、思いがけず料理の道へ。大学卒業後、東京で10年間みっちり修業を積んでかわらやに入り、2000年に料理長に就いた。
いよいよ料理に独自性を打ち出そうとした時に「かわらやの鮎をもう一度勉強しなさい」と忠言したのが、岐阜車体工業元会長の故星野鉃夫さんだった。トヨタ自動車元会長の張富士夫さんらを連れてたびたび来店した。「岐阜の料理の父。多くのことを教わった」と振り返る。
伯父亡き後、かわらやの経営を担ったのは謙一さんの父・三三男さん。県料理生活衛生同業組合で理事長を務めるなど業界をリードしてきたが、昨年12月29日に死去。謙一さんは「年末の慌ただしい時期。お得意さまに気を遣わせ、手を煩わせてはならない」とすぐには公にせず、おせち作りに専念。静かに旅立ちを見送った。
謙一さんは20年間、毎朝6時に市場へ行き、鮎など旬の食材を仕入れる日々を休みなく続けてきた。「かわらやののれんを長年守ってきた」と自負する一方、「時代の流れには逆らえなかった」とも。今は残りの営業に集中する。自信を持って提供するのが「かつお炊き」。素焼きの鮎を水から炊いて冷まし、かつお節をどっさりのせて風味を鮎に染み込ませる一品だ。歴史ある店を閉じる季節が、看板である鮎の時季と重なったことに感慨を抱いている。「毎年訪れるお客さまに、旬の鮎料理で最後のあいさつができて良かった」
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