Search

秘伝のタレ抱えて疎開、150年の味守る 戦争を生き抜いた老舗うなぎ料理店:中日新聞Web - 中日新聞

5代目店主の中山裕子さんは「先代や常連客のおかげで今も店が続いている」と語る=豊橋市札木町の丸よで

5代目店主の中山裕子さんは「先代や常連客のおかげで今も店が続いている」と語る=豊橋市札木町の丸よで

  • 5代目店主の中山裕子さんは「先代や常連客のおかげで今も店が続いている」と語る=豊橋市札木町の丸よで
  • 戦前の「丸よ」。空襲で全焼した=豊橋市札木町で(中山裕子さん提供)

 豊橋市中心部の札木町に店を構える「丸よ」。豊橋を代表する老舗のうなぎ料理店は、戦時中の疎開や店舗の焼失を乗り越え、秘伝の味を守り抜いてきた。大おかみで五代目店主の中山裕子(ひろこ)さん(82)は「先代や常連客のおかげで今も店が続いている」と話す。

 その歴史は江戸時代までさかのぼる。前身は1830年代、江戸後期創業の日本料理店「織清(おりせい)」。かば焼きを皮を上にして提供するのは当時から。地元の名士が集う店として栄えたが、明治初期に料理長や芸者が東京の店に引き抜かれ、大番頭だった初代の中山要吉が店を継ぐ。要吉は店名を「丸よ」に改め、うなぎ専門の料理店に変えた。150年ほど前のことだ。

 客を魅了する理由の1つは、そのタレ。コクのあるたまりじょうゆを使うことで、黒々とした見た目ながら塩味が強くなく、まろやかなあじわいが特徴だ。織清の代から現在まで約200年間継ぎ足されてきたとされる唯一無二のタレもまた、戦火にさらされた。

 1945(昭和20)年。裕子さんの義父で二代目の要(かなめ)たちは激化する戦況に抗しきれず、浜松や四日市の親族宅への疎開を余儀なくされる。受け継いだタレとともに豊橋を離れたという。裕子さんは「今でも非常時には必ず、...

この記事は会員限定です。
中日新聞読者の方は、無料で会員登録できます。

中日プラスに登録すると
中日新聞電子版が利用できる
会員向け記事が読み放題
各種メールマガジンで最新情報をお届け

※中日新聞読者には、中日新聞朝刊・北陸中日新聞朝刊・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

よくある質問はこちら

関連キーワード

おすすめ情報

Adblock test (Why?)



from "料理" - Google ニュース https://ift.tt/ReJm6qt
via IFTTT

Bagikan Berita Ini

0 Response to "秘伝のタレ抱えて疎開、150年の味守る 戦争を生き抜いた老舗うなぎ料理店:中日新聞Web - 中日新聞"

Post a Comment

Powered by Blogger.