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米外交文書「朴槿恵、朴正煕暗殺翌年の総選挙出馬を望んだ」(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース

 朴槿恵(パク・クンへ)前大統領は、父親の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の暗殺翌年である1980年、次期総選挙に出馬することを望んだという。こうした秘密情報を記した米国務省の外交文書が40年を経て機密解除され、15日に公開された。このような事実が米国の公文書で確認されたのは今回が初めてだ。「12・12事態」(1979年12月12日。全斗煥〈チョン・ドゥファン〉陸軍少将、盧泰愚〈ノ・テウ〉陸軍少将などによるいわゆる粛軍クーデター)の2カ月後で、当時韓国軍の保安司令官にして「実権者」だった全斗煥・元大統領が「28歳の朴槿恵」の総選挙出馬を支持したという証言も、今回初めて明らかになった。米国務省は、こうした情報を収めた文書43件(およそ140ページ)を韓国外交部(省に相当)の要請に基づいて今月12日に提供し、韓国政府が15日にこれを公開した。

 1980年2月に作成された米国務省の文書は、「事情をよく知る民主共和党国会議員」の話を引用し、「朴槿恵が次の総選挙に、自分の父親の故郷が含まれる選挙区から出馬することを望んでいる」と記した。

 当時の全斗煥・保安司令官は、こうした意思を知って、朴槿恵に出馬することを強く勧告(urge)したことが分かった-と米国の文書は伝えた。文書は、全斗煥が「朴正煕の青瓦台(韓国大統領府)」で勤務する中で大統領一家と親しくなった、とも伝えた。こうした状況を米国大使館側に伝えた消息筋は「全斗煥はどこにでもいる(CHUN DOO-WHAN is all over the place)」と語り、これに米国大使館側は「同意する(We agree)」と答えていた。

 しかし、朴・前大統領は81年3月25日に行われた第11代総選挙には出馬せず、その背景については今回の文書に出てこなかった。ただし朴・前大統領は、2007年に出版された自叙伝で「静かに生きていく日々に満足できた。政治をやってみる気はないかという提案を時折受けたが、断固として拒絶した」と記している。

 今回公開された米国の外交文書には、全・元大統領が12・12事態から二日後の79年12月14日、ウィリアム・グレイスティーン駐韓米国大使との面談にて、韓国軍内部の反対勢力を完全には制圧できず不安に思っていた状況も収められた。またグレイスティーン大使はこの面談を終えた後、本国へ送った報告で、全・元大統領と新軍部について、1908年にトルコで軍事革命を起こした青年将校らを意味する「Young Turks(青年トルコ)」とも表現した。

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May 16, 2020 at 06:26AM
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