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浅井長政 姉川後も信長の脅威か|NHK 関西のニュース - nhk.or.jp

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場する戦国時代の大名、浅井長政が、姉川の戦いで織田信長に敗れたあと京都の寺に送った文書が見つかりました。
寺への支配を示す内容で、専門家は、「長政が敗れたあとも京都に影響力を残し、信長にとって脅威になっていたことを示す貴重な資料だ」と指摘しています。

この文書は、京都市左京区の寺、勝林院で見つかり、近江の戦国大名、浅井長政の研究を続けている滋賀県長浜市の太田浩司 学芸専門監が調べた結果、花押や内容から長政がこの寺に送った「安堵状(あんどじょう)」と判断されました。
安堵状は、幕府や領主が支配下にある寺院などに対し、領地を保証するために発行したもので、今回見つかった文書には「領地異議あるべからず候」と記されています。
この文書が書かれたのは西暦1570年にあたる元亀元年の11月で、長政はこの5か月前に姉川の戦いで織田信長と徳川家康の軍勢に敗れています。
中世の歴史に詳しい関西学院大学の早島大祐 教授は、今回の文書は、長政が敗れたあと衰退の一途をたどったのではなく、近江にとどまらず一定の勢力を保っていたことを裏付ける内容だとしています。
そのうえで早島教授は、「長政が京都に影響力を残し、上らくしていた信長にとって脅威になっていたことを示す貴重な資料だ」と指摘しています。
今回の文書については22日午後9時からのBSプレミアム、「京都 千年蔵」で詳しくお伝えします。

【延暦寺焼き討ちの新解釈も】。
今回見つかった文書について、専門家は、織田信長による延暦寺焼き討ち(やきうち)の背景についても、新たな解釈を示す可能性を指摘しています。
文書が見つかった京都市左京区の勝林院は、比叡山の北西のふもとにある天台宗の寺で、延暦寺とも深いつながりがあります。
関西学院大学の早島大祐 教授によりますと、この一帯は、京都からびわ湖や北陸地方に抜けるための交通の要所にあたり、今回の文書から、信長と敵対する長政がこの地域に支配力を持っていたことが裏付けられるということです。
また、文書が送られた翌年の元亀2年(1571年)には、信長は延暦寺を焼き討ちします。
これについて早島教授は、「これまで信長の中世的権威の破壊や自身の残虐性を表すものとして説明されてきたが、実際は、軍事戦略上の冷徹な判断によって、手っとり早く延暦寺を焼き討ちして、軍事的に不利な状況の打開を図ったと考えるのが正しいのではないか」と話しています。

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August 21, 2020 at 12:11PM
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