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「スローフード」の原点、イタリア料理に見る「食」の本質に迫る - au Webポータル

秦泉寺友紀・和洋女子大教授

秦泉寺友紀・和洋女子大教授

 「農」と「食」のローカルな価値を考えるうえで、「スローフード」運動の発祥地・イタリアの存在は欠かせない。最近出版された「イタリア料理の誕生」(キャロル・ヘルストスキー著、人文書院刊)は、その道案内ともいえる一冊だ。翻訳者の一人、和洋女子大国際学部教授の秦泉寺友紀さんを訪ねた。私たちが見聞きしているものとはひと味違う、イタリアの「食」の本質が見えた。

 ――「イタリア料理の本」だと思って読み出したら、全然違った。そんな感想も聞きます。

 ◆いわゆる「レシピ本」ではありません。「イタリア料理」はいかにして生まれたのか。言い方を変えれば、料理や人々の食習慣を形作ったものは何か。それを現代史の歩みの中で解き明かしていこうというのが、この本です。

 ――豪勢なイメージで語られる今の「イタリア料理」ですが、それが形になったのは「経済の奇跡」と呼ばれる第二次大戦後の経済成長の成果であって、決して昔からそうであったわけではない。そのことは意外に知られていませんね。

 ◆19世紀から20世紀のかなりの時期まで、イタリアの貧富の差は大きく、経済発展は不均衡で、地域間の格差も際だっていました。先に近代化が進んだ英・仏の人々とのカロリー摂取量の差も歴然としており、貧困層はパンやパスタに使う小麦の入手もままなりませんでした。

 ――この本の帯には、「イタリア料理は『政治』と『空腹』がつくった?」というコピーが記されています。

 ◆著者の論点はそこにあり、政府の役割や国の介入がイタリア人の食料消費の習慣をいかに変え、それを持続させていったのかを書いています。

 国家統一を果たした1861年から第一次世界大戦までのイタリア庶民の食生活を特徴づけるのは、欠乏と栄養不足であり、これが人々の健康を脅かしていました。自由主義左派を中心とする政治家らは問題意識を持ち、調査に基づく改善策を模索します。一方で、農業不況に直面した多くのイタリア人が新天地を求めて南北米大陸に渡ったのもこの時期でした。彼らは移住先の大陸で食料の豊かさに初めて出合いますが、ここで特徴的なのは、不慣れな現地の料理には手を出さず、なじみのある料理を分量多く食べる道を選んだことです。「食」は移民たちの国民的アイデンティティーの基礎になりました。彼らは、自分たちの好むトマトの缶詰や乾燥パスタなどを母国に求めます。これがイタリア本国の食品産業の発展につながります。今、世界的に知られているイタリアの食品メーカーの多くもこの時期に生まれました。

 ――移民による外国市場の誕生が、母国の人々の食生活の改善にも貢献したわけですね。

 ◆第一次大戦下の食糧統制も、国民の食生活の向上につながりました。戦争を続けるには、兵士と民間人を食べさせなければならない。政府は外貨をはたいても小麦の輸入にカジを切り、価格を低く統制しました。貧困層にもオリーブ油や砂糖、バターなどを入手する余裕が生まれ、食習慣を普及、均質化する基礎が生まれました。

 ――次のファシズムの時代も食糧統制は続きます。

 ◆価格を統制した点では自由主義政権時代のそれと同じですが、ムッソリーニは食糧の自給自足と小麦の増産を政策に掲げます。「小麦戦争」と呼ばれています。国際収支を改善し、戦時体制の構築を企図したものでしたが、現実には安価で十分な食料が確保されることはありませんでした。ファシスト政権はプロパガンダをまぶした禁欲的な食生活を国民に強いることになります。第二次大戦中には、軍需物資と引き換えに食糧と労働力をナチス・ドイツに提供する立場に追い込まれます。

 注目したいのは人々の対応です。「合意の料理」という呼び名があります。肉類は入ってもごく少量で、主に入手可能な穀類と青果で作る料理のことですが、これだけで耐えた経験が、今もパスタがイタリア料理の主役であり続ける理由にもなっているようです。統制に対し、闇市での食材の流通など隙(すき)あれば抜け道を探ろうとしたこと。また数少ない食材をさまざまに生かした調理の工夫など、知恵を尽くして格闘した当時の庶民の姿には、「レジスタンスから生まれた共和国」という戦後イタリアの自画像が重なるように見えます。

 ――現在のイタリアの食文化をどのようにみますか。

 ◆「『イタリア料理』という『料理』はない」とよく言われますよね。イタリア各地の郷土料理の集積なんだ、と。一方で現在のイタリアでは、特定の地域に結びついた食品がその地域を離れて全国に流通し、消費されるようになっています。日本でも有名なバルサミコ酢は元々、中部エミリア・ロマーニャ州モデナの食品でしたが今は全土で入手できますし、南部ナポリのピザや、北部ミラノの名物のコトレッタ(カツレツ)を出す料理店も全土にあります。

 1950年代、「経済の奇跡」を経て農業社会から工業社会に本格的に離陸したイタリアでは、同時に食の標準化が進みました。ただ、食材の産地へのこだわりは、今も変わらないようです。イタリアの外食・観光などの企業の団体が行ったある調査によると、回答者の約70%が「食材がどこのものか」を知りたいと答え、また約50%が歴史的な「レシピの由来」に興味があると答えています。

 ――日本で言う「地産地消」と重なりますね。

 ◆さらに言うならば、イタリアの人たちは「食」と「農」を通じて、グローバル化に流されない立ち位置を示しているように思います。イタリアにマクドナルドが初めて出店したのは1985年ですが、国民の反発を呼んだことは知られている通りです。この本の著者が指摘していることですが、反発の原因は、商品の質に関することよりも、生産農家や店で働く労働者の関与を認めない同社の新しいビジネススタイルにあったといわれています。同社は結局、ビジネルスタイルの転換を迫られ、食材の85%以上をイタリア産のものを使っていると説明するに至りました。近年急成長している中国系のある食品メーカーは、イタリアの食材の100%近い使用をアピールポイントにしています。

 ローカル、ナショナル、グローバルの三つの領域が交錯する中で、現在のイタリア政府は、「農」と「食」のローカルな結びつきをブランド化することで、ローカルがグローバルに渡り合える方向性を作っています。それが役割だと認識もしています。

 ――イタリアの統一以来、人々の意識に培われた「食」に対する一種の頑固さのようなものが、背景にあるように感じました。

 ◆イタリアでは政府が全てではなく、「コムーネ」と呼ばれる基礎自治体の影響力が強い。ローカルの価値は制度的にも保障されており、ここでお話ししたような人々の意識が中央に反映されやすい。日本でも地方分権が言われていますが、「農」と「食」でローカルの価値を重視するならば、中央と地方の関係をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。【聞き手・三枝泰一】

しんせんじ・ゆき

 1973年、横浜市出身。96年、東京外国語大外国語学部卒。2007年、東京大大学院人文社会系研究科社会学専門分野博士課程単位取得。准教授を経て20年から現職。分担執筆に「近代イタリアの歴史」「排外主義の国際比較」「イタリアの歴史を知るための50章」など。

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